土地もある 家もあるのに 居場所なし 恐妻家人 19
物置改造で漸く確保
最初から居場所を作っておけば良かったのだ。
例えば、畳みを色分けしてピンクに塗っておく。識別だ。
これでも不安ならば柵を設けて看板を掛ける。看板には「立ち入り禁止 所有者」とする。
これを自分の好きな場所に設ける。座敷の中でもいい。心配なら出入口には鍵を掛けておく。
入口に通じる通路には「通路に付き物を置かないで下さい」と張り紙をする。
これでも心配な場合には、入口を窓際にして、窓から出入出来る様にする。結局、ここでも窓際だ。
昔はこれを座敷牢といって、一門の恥さらしの道楽者などを、家の中に監禁して外に出さない様にしたのだ。
今は土地を買い、家を建て、子供を学校に出して、その上女房のお稽古代やお茶代まで稼いでいる働き者が利用することになった。
ここまで苦心しても、特別残業して遅くなったり、朝帰りなどした時は玄関の鍵が掛かっていてはいれない。
結局居場所を作るのは無理なのか。
昔から 汗水垂らして働くのは使用人だ。
美味しい物を食べ、綺麗な服装をして見栄を大切にしながら色恋にうつつを抜かすのが主人だ。
働かない人が主人なのだ。
TVを見ても、小説を読んでも、何時の世もそうなっている。これは変っていない。
変ったのは、男女同権に成ったことと、農業社会から工業社会に成ったことだ。
男女同権に成って主人は男でも女でもいいことに成った。
工業社会に成って、男が会社で働き女が子育てする都合で家に居るようになった。
だから男が働くので使用人となり、女は主人となった。
会社は製品を多量に生産しながら、まるで蜜蜂の働き蜂のような使用人を大量に作り出すことに成った。
工業社会は蜜蜂化現象を生んだのだ。
蜜蜂の世界では、働き蜂は蜜をひたすら運んで、用がなくなったら死んでいく。
そして文句を言う奴は一匹も居ないのだ。
所で、居場所はどこに求めたら良いのだ。
庭の隅にボルトとナットで組上げた物置が有るではないか。
ここならば好きな時に、好きなだけ、好きな様に居られる。
大体、使用人の居場所は昔から母屋の外だ。座敷牢は使用人用ではないのだ。
帰結は理に叶っている。
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