>
ムリムダを無くして今は職もなし 日ぐらし紋次
外人社長で 会社は残り      
**********************************************************************
一体今まで一生懸命やってきた仕事って何なんだろうと考える時が有る
仕事の大部分は「合理化」ではなかったか。
勿論新商品を開発して新しい事業を起こした事も有る。
しかし、開発をした後は決まって競争に打ち勝つ為に一生懸命コストダウンをする。
生産コストで大きな割合を占めるのは材料費と労務費で
競争に勝つためには、材料と人員を減らす事を一生懸命考える。
これに仕事時間の多くを割いてきたのではなかったか。

即ち
如何に「他人の仕事・職を無くすか」に努めるのが仕事だったのではなかったか
材料を減らす事によって、材料を供給してくれる人達の職を圧迫する
ムダ・ムラ・ムリを無くして人減らしをする。
これが「業績」として称えられ、やがて次の世代の「業績」の為に
自分自身が人減らしに遭い、職が無くなる。

野獣のボスが年老いて群れを追われる様子が思い浮かぶ。
人は野獣ではないからボスは居ない。
だから「皆で」群れを追われる、「世代」で追われる
結局野獣ではないが「獣」なのです。

昔「楢山ぶし講」という映画を見た事が有る。
息子が年取った母親を山に捨てに行く話しだ。
昔は 年寄りを捨てに行ったのは「個人」でしかも血のつながっている身内だった。
「悲惨な話しだ」と思った。

今は会社が沢山の人を一緒に捨てる
「楢山ぶしこう」まで大量生産型である。
大量生産で、皆で皆をやれば悲惨ではないのか?。
皆で渡れば 何をやっても良いと言うのか?
親と子の話しで涙を出して、
「集団を育てた人達」と「育てられた人達」の話しでは 
涙が出ないと言うのか?
***********************************************************************
川柳ページへ戻る