横綱の品格
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「未だ木鶏たりえず」とは双葉山の話だ。

朝青龍が引退した。当然だ。

引退会見で「土俵の上では鬼になって戦った」といった。
横綱に求められているのは「武器を持たない桃太郎」だ。
単に勝だけではなく、「気は優しくて力持ち」で鬼退治をした桃太郎、
そして裸で、素手で鬼退治をすることができる人が横綱だ。
それが横綱になっても「鬼」のままでは、横綱とは言い難い。

横綱になるとき「綱に恥じないように精進する」と言って引き受けたはずだ。
「精進」する、とはどういうことなんだ?朝青龍は精進したのだろうか?

武蔵丸に勝った時は「鬼」でよかった。そして昇進したいという「欲」を持って
がむしゃらに上位者にぶつかり勝ち星を貪り、獲得した。
こんな時は欲と闘志を表に出して、鬼のように土俵を務めないと勝てなかった。

それが出世して大関になり、横綱になると、自分より強い者がいなくなる。
今度は自分より弱いものを相手に戦うわけだ。
勝って当たり前で、勝ち方・相撲の「質」が問われる。
「精進した跡」が見えないといけない。

自分自身の中にある勝ちを貪る気持ちと戦い・克服して
貪る取口を「浄化」し、自然な美しい勝ち方を探求することが期待されるのだ。
勝ちを貪ることを止めて、美しく勝つ技を修める。これが「精進」だ。
矛盾するようなことを厳しい稽古で克服し・飛躍する。
結果「木鶏」のようになる。「人」が見えるようになり、動じない。
土俵でも強さに裏打ちされた優しさが表れるようになる。

力士についても、社会生活の中では、周りの人達は弱い
力に頼り欲をむき出しにして振舞うと、社会の秩序を乱す。
強いが故に優しい人間形成を心掛けるよう指導され
手を着けられなかったようなやんちゃな青年が立派になり
巡業で「精進の成果」を披露する。
土俵の上では関取といわれ、尊敬される。

強いものが精進し、飛躍する人間像の典型が関取そして横綱で、
日本国民の理想像だ。
だから神様のように、注連縄を着けて尊び・敬う。
大相撲を国技という所以だ。

勝を貪るチャンピオンには注連縄は、はれない。

町の人が「勿体ない」と言うのは、「精進」すれば大横綱たり得たのに・・
ということだと思う
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朝青龍が辞めて白鵬が優勝した。
優勝インタビューで「勝たない相撲」を取った、といった。
成るほど、と思ったが、マスコミには白鵬の真意が理解できなかったようだ。
「勝ちを貪る」のではなくて、言う処の「『相撲道』に徹した相撲」を取る。
真意を理解して、補足できないマスコミは情けない。
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われわれの行動規範の中には、どこかに「精進」がある。
日々心掛けて弛まず行う精進だ。
精進の目指すところは、陰を「陰を極めて」陽に、
真黒を「黒が滲み出ない様に」(グラデーションを強く)して白に、
脱皮させることだ。

筋金を芯に、その対面にある綿のよな弱きものを表面に出して、
そこで味わう負の効果を払拭すべく、「芯」を少しづつ弛まず鍛える。
「芯」を残したまま、脱皮を繰り返す事で進化する、
進化のスパイラル・PDCAプロセスだ。

手に負えないやんちゃが、優しくなる。
貪欲のけちん坊が、人助けをする。

外国人には解り難いことなのでしょうか???
「精進」は、われわれがもっと大切にすべき事のように思うのだが?
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野球賭博で相撲界は壊滅寸前だ
何とか名古屋場所(H22年7月)は開くと云う
琴光喜はもう相撲は取れないだろう
豊の島、豪栄道、豊響、雅山、こんな力士が出場できない
相撲は「体育会系」では最右翼に属するスポーツだろう。
勝って多額の賞金を貰うが、使える場がない
そこで多額の掛け金で博打を「楽しむ?」
モンゴルの力士は、国に「送金」するから、強いのだろう?
邦人力士にも「送金」する「施設」などを作ったらどうか?
曰く:**関のご芳志による「養護施設○△□園」という様な・・・
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私の意見(堀内辰男)